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こんにちは。管理人の妻です。
私は現在趣味で音楽をやっていますが、昔は本気で歌手を目指していたこともありました。
20代半ばで私はいつの間にか夢を無かったことのようにしてしまいましたが、今でも歌を歌うことは大好きです。
今でもチャンスがあれば、何歳からでも夢は叶えられるのではないか?と思っています。
ただ、それを叶えられるまで行動し続けられるか、情熱を持ち続けられるかは自分次第ですね。
なので、年齢や環境に屈せず夢を叶え続ける人達の生き様は、私達に勇気や希望を与えてくれます。
そこで今回リサーチしたのは車いすの演歌歌手、木田俊之(きだとしゆき)さんです。
木田さんは30歳の時に難病と言われている筋ジストロフィーを発症します。
その後1998年41歳の時に念願の演歌歌手デビュー、筋ジストロフィー発症以来29年間、車いすに乗りながらステージに立ち続けてきました。
木田さんの現在の夢は「紅白歌合戦に出場すること」です。
それを目標に、今も奥様と二人三脚で夢に向かって突き進んでいます。
そんな木田俊之さんの経歴は?また、映画や立山連峰についても今回はリサーチしてみました。
経歴は?
車いすの演歌歌手、木田俊之さんのプロフィールはこちらです。
昭和32年2月2日青森県大鰐町(おおわにまち)生まれの現在60歳です。
26歳の時に結婚、30歳の時に筋ジストロフィーを発症、41歳でプロデビューを果たし、以来夢に向かって歌い続けています。
後述しますが、今回木田さんの人生が映画化され、木田さんの歩まれてきた道の詳細も分かってきました。
今回は大まかにまとめて紹介していきます。
誕生~結婚まで
昭和32年2月2日に木田さんは青森県大鰐町(おおわにまち)で生れました。
おばあさまが津軽手踊りをしていた影響で、小さい頃から津軽民謡を歌いながら育ったそうです。
中学生の時、担任から『頭の良い者は頭を使え!』『そうでない者は、身体を使え!』といわれたことがきっかけで、手に職を付けて独立しようと、15歳で中学卒業と同時に左官の道に入ります。
左官業で一生懸命頑張りながらも16歳の頃は暴走族に入り、警察のお世話にもなった事があるそうです。
そんな中、仕事中、親方に演歌や歌謡曲をトラックの中でよく聴かさていたんだそうです。
木田さんの歌の原点は古賀政男先生のメロディと大川栄策さんの歌だそうです。
その後、左官の仕事を求め千葉県柏市に出稼ぎに出ます。
そこで「池袋のサブちゃん」と呼ばれて東京で人気の流しだった斎藤さんという人と意気投合、柏の繁華街で一緒に歌う事になります。
余談ですが木田さんが20歳の時、 『スター誕生』に応募するが書類で落選します。
そのとき同じ左官業だったあの『新沼謙治』さんが合格してデビューを果たしたそうです。。。
左官業は歌の上手い人が多かった時代だったんでしょうか。
その後25歳の時に木田さんは、妻の智恵子さんと弘前のディスコで出会い、横浜と大鰐で遠距離恋愛がスタートします。
そして26歳の時に地元に帰り智恵子さんと結婚、地元のカラオケ教室に通うようになります。
27歳の時に長男の優一さんが誕生し、3年後には次男の春紀さんも生まれ幸せな生活を送ります。
この間にも歌番組やのど自慢に出場し、様々な賞やテレビ出演も果たしていました。
発病~デビューまで
木田さんはまつりや歌謡ショーなどの舞台に立ち、お小遣を稼いだりしていたこのころが一番楽しく何もかも充実していたそうです。
ところが、そんな木田さんの体に異変が訪れます。
長男が3歳の頃、花見に行った公園で走る息子に木田さんは追いつけなかったそうです。
検査の結果、病名は『筋ジストロフィー』と診断されました。
筋肉が萎縮して手足や首の筋肉が徐々にやせ衰えて行く、治る事の難しい病気であると告げられたそうです。
その後31歳の時、カラオケ大会のステージで目の前が真っ暗になり倒れ、それ以来立って歌う事が出来なくなってしまいました。
この時に木田さんは歌をやめる決意をします。
その後、病気は着実に進行、少しずつ足が動かなくなっていきました。
木田さんは、タクシードライバーを失業、36歳の時には仕事を続ける事が不可能になるほど病は進行します。
身体が思う通りに動かないのに、障害者年金の対象ではないので経済的な援助も全くなかったそうです。
奥様だけを働かせている自分を許せず、2年ほど、出口の見えない真っ暗闇のトンネル生活だったそうです。
木田さんは家族の負担を案じ、心の闇にのまれ、自殺することを本気で考えます。
でもどんなに大変でも必死に生きる妻や前向きに頑張る子供達の姿を見て、頑張って生きようと決意します。
その頃、6歳で『筋ジストロフィー』を発病し30年も40年も歩き続けてきた政所さんという人に出会い、目が覚めます。
自分の事しか考えず、落ち込んでいる事がばからしく思えたそうです。
そして、その日、ステージで倒れてからやめていた歌を、初めて椅子に座りながら歌うと、大きな拍手に包まれました。
『自分に出来るのは歌う事だ!自分には歌がある!歌は座っても出来る!俺は歌で生きて行く!』と決意したそうです。
リハビリを続けながら歌へ挑戦し、様々な大会で連戦連勝、 平成10年に開かれた『第4回櫻田誠一杯 全国演歌大賞』で優勝し、木田さんのプロデビューが決まります。
1998年12月4日、41歳で木田さんは筋ジストロフィーという病を抱えながらキングレコードからプロデビューします。
デビュー以降~現在
1998年12月11日『木田俊之デビュー記念・チャリティコンサート』を開催します。
1時間で12曲を熱唱した木田さんはこの時、紅白歌合戦に出場する!という夢を抱くようになります。
2000年、第2弾シングル『ふたり道』が発売されます。この曲で『キングレコード・ヒット奨励賞』を受賞します。
その後、2002年5月、みちのくレコードに移籍します。
第1弾として、木田俊之『奥羽山脈/じょんがら恋来い』がリリースされます。
このころから車いすで移動することが多くなり、マイクが持てなくなり、スタンドマイクで歌い始めたそうです。
2004年5月20日には、みちのくレコード第2弾シングル『親心/北転船』がリリースされます。
2006年2月には、みちのくレコード第三弾『ねぷた〜祭魂』がリリースされました。
2007年には12月7日には弘前市でデビュー10周年記念ディナーショーを開催しています。
2008年には新曲『父母』と『津軽お岩木夢ん中』また、木田俊之全曲集『木田俊之物語〜歌こそ我が人生〜』がリリースされました。
さらに、「木田俊之物語~歌こそ我が人生」という自伝の出版とラジオ番組のスタートが決まりました。
2013年11月6日には日本クラウンに移籍第一弾シングル「立山連峰」がリリースされています。
そして2017年4月24日には『いのちあるかぎり・・・・ 木田俊之物語』が公開されています。
かなり大まかにまとめましたが、様々なことがあった人生だったんですね・・そして今も夢に向かって奥様と二人三脚で闘い続けている・・・・本当に頭の下がる思いです。
映画は?
車いすの演歌歌手、木田俊之さんの半生を映画化した『いのちあるかぎり・・・・ 木田俊之物語』が2017年4月24日に公開されました。
今も日本全国の劇場や上映会などで順次公開されており、沢山の人々が見ていらっしゃることと思います。
私も予告動画を見たんですが、ちょっとそれだけでも泣いてしまいそうでした・・・。
映画のあらすじ
映画『いのちあるかぎり・・・・ 木田俊之物語』ですが、あらすじはこのようになっています。
みちのくレコード第一号歌手・木田俊之は、筋ジストロフィーの難病に負けず、車椅子に座りながら歌う姿とその歌唱力に、多くの人に感動と勇気を与えている。
1982年、のちに妻となる智恵子と出会い結婚、その後子どもが生まれ、幸せな日々を送っていた木田を、突然、病が襲った。
自暴自棄になる木田を妻・智恵子は支え続け、ボランティア歌仲間との交流を通し、難病と必死に戦いながら「紅白歌合戦出場」を夢見て実現するため「いのちあるかぎり」歌い続ける木田俊之の半生を描いた一組の夫婦の物語として映画化する。
(映画『いのちあるかぎり・・・木田俊之物語』公式サイトより引用)
キャスト
映画のキャストはこちらです。
武田知大(木田俊之役)
植野葉子(木田知恵子役)
鈴木まりあ(SNH48&AKB48)
武智大輔
大林素子
渡辺裕之
あべ静江
西村知美
本田理沙
フィンガー5・晃
橋本トオル
古川孝
松田えりか
鈴木ゆか
滋野由之
キャストも有名な方が沢山出演されていらっしゃいますね!
個人的にはフィンガー5・晃さんの役どころが気になります。
監督・脚本は渡邊豊さんというかたです。
私も是非この映画見てみたいです!
映画の公式サイトでは木田俊之さんご本人も動画でメッセージを寄せてますので、気になる方は是非チェックしてみてください!
立山連峰について
車いすの演歌歌手木田俊之さんを検索すると、立山連峰という言葉が出てきます。
なんだろうと思って調べてみたら、2013年11月6日に日本クラウンから発売されたシングルのタイトルでした。
ちなみにこちらが詳細です。
<収録曲>
1. 立山連峰
2. 本州最北港駅
3. 立山連峰 [オリジナル・カラオケ]
4.本州最北港駅 [オリジナル・カラオケ]
5. 立山連峰 [一般用カラオケ(1音下げ)]
6.本州最北港駅 [一般用カラオケ(1音下げ)]木田俊之の移籍第1弾シングル。筋ジストロフィーに見舞われて26年、ストレートに生きる姿は、同じ病と闘う皆さんは元より、観る人、聴く人に、生きる勇気と、元気を与えます。
■立山連峰
…作詩家 岬坊真明氏、そして作曲家 聖川湧氏の故郷・富山から見た「立山連峰」の美しく雄大な景観の中で“男ごころ”を歌い上げた作品。
■本州最北港駅
…木田俊之の故郷・青森を舞台にした、哀愁歌謡。(日本クラウン公式サイトより引用)
ちなみにこの立山連邦の歌詞に、このような一節があります。
岩に根を張る 木や草に
負けるようでは 話にならぬ
嵐の海も 吹雪の空も
我慢・辛抱 試練に耐えりゃ
夢はかなうと 教えてくれた
あゝ 立山連邦
この歌詞自体が、病気と向き合いながら、大好きな歌を歌うことを決してあきらめず、夢を叶え続ける木田さん自身の心うちに思えて胸に染み入りました。
この曲以外にも、木田さん自身に重ねて作られた曲や、奥さんと木田さんのことをイメージして作られた曲などもありますので、是非ほかの曲も聞いてみたいですね!
最後に木田さんのコメントでとっても素敵だなと思った言葉を紹介させていただきます。
生きていれば、暗い時も泣く時もある。
でも、どうせ生きるなら明るく生きた方が良い。
病気になって落ち込んで暗い人の気持ちが分かった。所詮、自分ひとりでは何も出来ない。
だから、俺は歌い続けるしかない。夢は紅白歌合戦出場。
歌で感動させて、涙流させて、笑わせる事も夢。
誰がどこで見ているか分からないから、俺は全て全力投球!
客が多くても少なくても同じ気持ちで頑張ってきた。
でも、人間欲が出る、欲が出ると歌が濁る。
だから、植物の気持ちになって歌いたい。
駆け引きがないから、一生懸命咲いて散るだけだから花は美しい。
そんな気持ちになって歌うのが目標。
(映画『いのちあるかぎり・・・ 木田俊之物語』公式サイトより引用)
木田俊之さんの何事にも明るく笑顔で向かっていく生き方とその強さ、とっても素敵で勇気をもらえます。
私も、すっかりご無沙汰していた大好きな歌、また歌いたくなってきました。
ハジメテトピックスは、これからも全力で木田俊之さんを応援していきます!