サイトアイコン ハジメテ トピックス

臼井二美男(義肢装具士)の妻や息子と結婚は?高桑早生さんやパラリンピックとの関係もリサーチ!

この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。

Engin_Akyurt / Pixabay

こんにちは!すっかり涼しい朝方のうちにしっかりした話題について記載しようと集中している管理人です。

以前、本ブログでは小児筋電義手について、陳隆明さんや神陽喜さん、太田望遥さんについてお伝えしました。

陳隆明(ちんたかあき)の経歴は?神陽喜くんの筋電義手と太田望遥ちゃんもリサーチ!
こんにちは!息子が生まれてから、子供が頑張っている姿を見るだけで泣けてしまう管理人です。 病気や障害のありながら頑張っている子たちも、それを応援したり支えたりしている人たちも、本当に尊敬します。 今回ご紹介する陳隆明(ちんたかあき)さんは、...

今回は義肢装具士の臼井二美男さんや東京パラリンピック陸上での活躍が期待されている選手である高桑早生さんについてフォーカスしたいと思います。

スポンサードリンク
 




臼井二美男さんが義肢装具士になった理由は?

AnandKZ / Pixabay

「義足の仙人」の異名をとる義肢装具士の臼井二美男さん。

失礼かも知れませんが、義肢装具士というのは非常に特殊な珍しい仕事のように感じます。

その世界で有名になった臼井二美男さんは一体どのような理由で義肢装具士になられたのでしょうか。

地元群馬を出て東京の大学へと進学した臼井二美男さんですが、多忙な日々に追われた結果3年時に大学を中退してしまいます。

それから約8年間は定職には就かずにフリーター生活を送っていたそうです。

「やりたいことが分からなかった」当時をそう語る臼井二美男さん。

生活のためのアルバイトの中でも自分の未来を探し続け、様々な業種の仕事を試してみたそうです。

しかし、多くの仕事を経験し学んでみても心にはモヤがかかったまま、次第にアルバイトは生活費を稼ぐためだけの行為になったと言います。

フリーター生活を送っていた臼井二美男さんですが、ある時から「このままではダメだ」と感じて職業訓練校へと通うことを決意したそうです。

(しっかりされていますね!なかなか管理人にとっては耳の痛い話です。。。笑)

東京に数多く立ち並ぶ職業訓練校の一つにあった「義肢科」の文字が臼井二美男さんの心に深く食い込んだといいます。

というのも臼井二美男さんが小学6年生の頃、慕っていた担任の先生が病気で学校を休み、復帰した時には先生の足が義足になっていたそうです。

その頃の記憶や感情が「義肢科」の文字によって鮮烈にフラッシュバックした臼井二美男さんは、飛び込むように鉄道弘済会という義肢制作会社へと入社しました。

身近な先生が義足になったという過去と、その世界へと躊躇なく踏み込んだ臼井二美男さんの行動力。

その二つが今の「義足の仙人」を生み出した理由になっているのですね。

妻や息子、結婚は?

結婚

臼井二美男さんは既にご結婚なされていて幸せな家庭を築いているようです。

臼井さんがフリーター生活を送っていた頃、その生活を脱するきっかけとなった職業訓練校。

その訓練校へ通うという決意を抱かせたきっかけ、それが今の奥さんなんだそうです。

アルバイトで生計を立てていた頃に付き合ったそうですが、付き合いが長くなるに連れて結婚を意識するようになった臼井さん。

「この彼女と結婚をしたい」そう思った事でちゃんと正社員を目指そうと思われたそうです。

臼井さんの奥さんや子供に関しての詳しい情報はありませんでしたが、一人の女性のために、その人との結婚のためにそれまでの生活を抜け出す決意をしたというのは、非常に立派でカッコいい方だなと思います。

スポンサードリンク
 




学歴と今現在の勤務先は?

臼井さん群馬県前橋市のご出身で、高校は地元の県立前橋高校を選びました。

高校卒業後には東京の私立大学の文学部へと進学したそうですが、どこの大学かは明かされていません。

先にも述べたように、この大学を臼井さんは中退しています。

鉄道弘済会へ就職後、元々は通常の生活用義肢を作っていた臼井二美男さんですが、89年を境にスポーツ用の義肢も作り始めました。

それからは、臼井さんの作った義肢を付けた選手がパラリンピックや日本の大会で好成績を収めるようになり、そちらの仕事がメインとなったそうです。

主軸となる仕事は変化したようですが、それ以後も勤め先は変わらず現在も鉄道弘済会の社員として活躍しているそうです。

高桑早生さんやパラリンピックとの関係は?

パラリンピック短距離走の代表選手として活躍されている高桑早生さん。

この方の活躍には臼井さんの存在が密接に関係しています。

若い頃骨肉腫を発症し左脚の切断を余儀なくされた高桑早生さんが偶然見学した競技大会の中で、臼井さんの義肢を装着した選手が活躍していたそうです。

それまでは陸上競技に関心がなかった高桑さんは、この日を転機として臼井さんの開いていた運動練習会へと参加しました。

そのまま陸上競技へとのめり込んだ臼井さんは高校でも陸上部に入部し、当時すでにアジアパラユースという国際大会で金メダルを獲得しています。

高桑さんが陸上を始めるきっかけになったと言っても過言ではない臼井さん。

臼井さんの開いていた運動練習会からは高桑さんの他にも15人ほどのアスリートが誕生していて、その中の数名はパラリンピックにも代表として選ばれています。

臼井さんは、自分の義肢を着ける患者が四肢を切断した瞬間から、家庭の事情やその後の生活の面倒等、細かい点まで面倒を見て寄り添い続けています。

一人の義肢装具士としての仕事を遙かに超えた面倒見の良さが高桑早生さんを初めとした選手たちの活躍へと繋がっているのかもしれません。

高桑早生さんは2020年に開催される東京パラリンピックへの出場を目指しており、「そこで私の競技生活の答えを出したい」と意気込みを語っています。

現役引退を匂わせる彼女の発言を受けた臼井さんは、「全力で彼女の走りをサポートする」と誓い、二人三脚で協力し合っていく事を語っていました。

東京パラリンピックという明確な目標に向けて、全力で頑張っていらっしゃる臼井二美男さんと高桑早生さん。

ハジメテトピックスではそんなお二人を全力で応援し続けます!!!

スポンサードリンク
 




モバイルバージョンを終了