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こんにちは!宮崎はイマイチな天気で気分も沈み気味な管理人です。
衆院選が近づいてきていますね。今回も様々なドラマが繰り広げられるのではないでしょうか。
民進党が不倫だなんだと自爆気味ですので、今回も自民党が有利なのかな、と思ってしまいます。
そもそも、勝てそうだと踏んだから選挙するんでしょうしね。。。自分でタイミングを決められるって、圧倒的に強いですよね。(笑)
今回は、自民党の重鎮S氏という異名で呼ばれることも多い、重宗雄三(しげむね ゆうぞう)さんをフォーカスします。
あの、大女優の浅香光代さんとの関係が噂された政治家でもあります。
一体どんな方なのでしょうか。
経歴や出身は?
重宗 雄三(しげむね ゆうぞう)さんの生年月日は1894年(明治27年)2月11日で、お亡くなりになられたのが1976年(昭和51年)の3月13日です。
昭和期の政治家であり、後ほどお伝えしますが実業家でもあります。
ご出身は山口県岩国市の出身です。
政治家として活動されるようになったのは1946年(昭和21年)8月14日に貴族院議員に勅選されてからです。
その後、山口県の同郷である岸信介さん、佐藤栄作さん兄弟に懇請される形で1947年(昭和22年)、記念すべき第1回の参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、見事当選されます。
また、参議院議長を3期9年間にわたりお務めになられています。
議長ということは参議院のトップであるわけで、その時期の首相である池田勇人さんや佐藤栄作さんの両政権を支えてきました。
閣僚人事にも影響を与えたため、ポスト欲しさに重宗雄三さんを訪ねてくる参議院議員は多かったようで、その様子は「重宗詣で」と呼ばれていたそうです。
また、「重宗天皇」やトップとして君臨していた参議院は「重宗王国」とまで呼ばれていたそうですから、かなり影響力があったことが分かりますね。
明電舎の社長も務める
政治家になる前の重宗雄三さんについても触れておきます。
東京高等工業学校附属工業補習学校(現東工大附属高専攻科)を1912年(明治45年)の3月に卒業し、その後、実の兄である重宗芳水さんが創業された明電舎(めいでんしゃ)に入社し、その後、社長や会長を務められます。
現在は東証一部上場の大企業である株式会社明電舎は重電機器およびシステム、水処理システム、産業システム機器などを手がけています。
いわゆる重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、ダイヘン、東光高岳、日新電機)の一角ですので、この明電舎の社長を勤められたというのはかなりすごいことですよね。。。
年表と妻や子供らご家族は?
簡単に年表や奥様やお子様らのご家族をまとめておきます。
- 1894年 誕生
- 1938年 明電舎社長
- 1946年 貴族院議員
- 1947年 参議院議員
- 1953年 参議院副議長
- 1959年 運輸大臣(-1959年)
- 1962年 参議院議長
- 1963年 明電舎会長
- 父:重宗信之
- 母:(不明?)
- 妻:加藤とき(加藤寅一郎の二女)
- 長男:重宗昌幸
- 二男:重宗信正(明電舎社長 重宗芳水の養子)
- 長女:重宗光(鳥崎忠雄の妻)
お母様がはっきりしないというのが、、、すごいですね。。。
御長男である重宗昌幸さんは重宗雄三さんの没後、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に旧山口2区から自民党公認で立候補されましたが、残念ながら落選されています。
また、弟さんである重宗和伸(重宗務)さんは映画監督であり、ご本人もかなり映画やお芝居が好きだったそうで、芸能界にも顔が広かったそうです。
のちにお伝えしますが、この流れで当時の新進気鋭の美人女優だった浅香光代さんと関係があったのではないか、と言われています。
浅香光代さんや隠し子について
大女優である浅香光代さんは数年前から様々な番組やメディアで過去の大物政治家との隠し子について語っています。
浅香光代さんが20代の頃に政治家と不倫し、2人の隠し子をもうけたとのことです。
隠し子、と言っていますが、既に60歳を超えています。(笑)
浅香光代さんが隠し子について語った当初、父親は元首相であると発言したため、佐藤栄作さんではないかなどと大騒ぎになりました。
大物女優の隠し子騒動というだけでも話題性が高いのに、父親が元首相ということになればそれはさすがに話題になりますよね。
「浅香光代の隠し子の父親は自民党の重鎮S氏」というフレーズだけが一人歩きして、様々なS氏候補が挙げられています。
2017年現在もお相手ははっきりしておらず、浅香光代さん自身も墓場まで持っていくつもりだそうです。
とはいえ、様々な考察はありますし、お子様も自分の父親のことですから、非常に気になっているようです。
Yahoo!知恵袋に非常に鋭い考察がありましたので、少し長いのですが、引用してご紹介します。
浅香光代が20代前半だった時期から推察すると出会いは1948年から53年ごろの事だと思われるけどここで注目するのは「のちに自民党の重鎮になった」という所です、最有力候補の佐藤栄作氏は政界デビューしてすぐに官房長官や政調会長に就任しておりすでに大物だったので「後に重鎮になった」という条件には合致しない他、54年には造船疑獄事件の中心人物として検察及びマスコミ、野党の徹底的な身辺検査を受けているので仮に浅香さんとこのころ愛人関係にあったとしたらとっくの昔に発覚している可能性が高いので候補から除外されます。
そうなると鈴木善幸氏では?と思えますが実は鈴木氏が政界デビューした時の所属政党は社会党右派であり時期的、状況的に見て可能性が低い上に長男の俊一氏と娘婿の麻生太郎氏が現役の大物政治家であるためその事も考慮に入れるとこの時期に暴露することは少し不自然にも思えます。
ちなみにもう一人の候補者の椎名悦三郎氏は初当選が55年でこの頃は議員ではなかった上に公職追放中で一切の公職には就けずそのため零細企業の社長や顧問を務めるなどかなりの貧乏生活を送っていた最中なのでこの方もまた可能性が低いです。
園田直、桜内義雄氏という説もありますがこの両人は当時浅香さんに紹介をしたとされる泉山三六氏の所属する自由党の反対政党である民主党所属であり泉山氏とも反目していたのでこれまた可能性が低いうえ園田氏に至ってはこれとほぼ同時期に同じ代議士である松谷天光光さんと「白亜の恋」と呼ばれる大恋愛(不倫)の真っただ中にいたので限りなくゼロに近いです。
なので私が一番可能性が高いと思えるのは後に参議院議長に10年近く君臨し参議院のボスと呼ばれた重宗雄三氏ではないかと思います。
実は重宗氏の弟は映画監督であり本人もかなりの映画や芝居好きだった為かなり芸能界に顔が広かったそうなので当時新進気鋭の美人女優だった浅香光代さんにコンタクトを取るコネも有していたので私は浅香さんの言う「自民党の重鎮S氏」とは重宗雄三元参議院議長だと思います。
これは、かなり説得力のある考察ではないでしょうか。
とても素人の推理とは思えません。(笑)
ということで、管理人も個人的には「浅香光代さんの隠し子の父親は重宗雄三さん説」に一票投じたいと思っております。
お相手もご婦人も既にお亡くなりになられているとのことですから、浅香光代さん自身が語るしかない状況ではあります。
いつか、浅香光代さんご本人の口からはっきりと明言される日が来るのでしょうか。
ハジメテトピックスはこれからもこの謎を追い続けたいと思います!!!