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久保新二と日景忠男の関係は?楳図かずおとの同棲の過去も!

この記事を読むのに必要な時間は約 8 分です。

以前、「おかまの夫、マキさんとオナベの妻、ジョンさん夫婦」についての記事を記載しました。

結婚というと、愛し合った男性と女性がされるもの、と思っていますよね。 しかし、愛し合っていないのに、しかもゲイとレズなのに、結婚さ...

その二人に近づいてきた、今後の展開のキーマンとなるであろう人が、俳優である久保新二さんです。

現在30代半ばの私には、正直に申し上げてあまり聞き馴染みのある俳優さんではなかったので(久保新二さん、並びにファンのみなさま、申し訳ございません)、気になって調べてみました。

調べてみるとこの方、なかなか凄い人ですね。。。日本映画史に確実にその名前を刻んだ、生きた伝説、リビングレジェンドでした。

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プロフィール

まずは久保新二さんの経歴を簡単にまとめます。

生まれは1951年。出身地は千葉県習志野市です。

高校を中退した後、「劇団ひまわり」に入団し俳優を目指します。

そして、66年に若松孝二監督の「血は太陽より赤い」で俳優デビューを果たします。

その後は「痴漢電車」(滝田洋二郎監督)、「未亡人下宿」(山本晋也監督)シリーズなど、なんと約850本以上の映画(いわゆるピンク映画)に出演されます。

受賞歴は、ピンクリボン賞の主演男優賞や、にっかつロマン大賞主演男優賞など数々。素晴らしい経歴ですね。

現在60代後半ですが、個性派俳優として今もなお現役です。

ご自身で舞台もされており、そこにマキさんを誘おうとしています。

そんな久保新二さんですから、今後もまだまだ、ますますご活躍されることと思います。

久保新二と日景忠男の関係は?

久保新二さんは、あの日景忠男さんとつながりがあります。

日景忠男さんといえば、俳優の沖雅也さんの養父としても知られる方ですね。

私には、1995年に放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」の妖怪退治企画での、「妖怪ねはん」というキャラクターが記憶に残っています。

ご自身の嗜好を反映させたような、「保健室に迷い込んだ美少年を待ち受けるボスキャラ」という設定でした。笑

昨年2016年に、実は去年(2015年)に亡くなっていたとひっそり発表されたことも記憶に新しいです。

肩書きとしては、芸能プロダクションJKプランニング元社長や、美少年評論家、と仰っていました。

そんな日景忠男さんと久保新二さんにどんな繋がりがあるのでしょうか。

著書「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」が話題になった、本業はミュージシャンだと思われるロマン優光さんのコラムで、お二人の関係について(さらっと)触れられていました。

日景忠男氏がひっそりと亡くなっていた。日景氏といえば自殺した俳優・沖雅也氏の養父であることで知られ、自殺時のマスコミ取材でのエキセントリックな言動や、後にステレオタイプな「滑稽なオカマ」の役割を演じながらテレビのバラエティーに頻繁に出演していた時の姿が印象に残ってる人が多いだろう。日景氏と沖氏は実質「恋人」関係で、ボーイと客として知り合い、事務所の社長としてというかパトロンとして、沖氏の芸能活動を支えていた人物というのがわかりやすいかもしれない。(ちなみに、沖氏以前の日景氏のお気に入りがピンク映画で活躍したポルノの帝王・久保新二氏であることを久保氏が自身のブログで記している。)

その久保新二さんのブログですが、残念ながら2017年現在は読めない状態となっております。

しかし、2011年02月28日のmixi(!)の久保新二さんのコミュニティ(笑)に以下のような書き込みが残っていました。

件名:怪優・久保新二コミュの久保さんのブログに日景忠男
久保さんのブログをいつも楽しみに拝見させていただいております。
女性遍歴もさることながら、その男性遍歴にも驚愕です。
あの日景さんが男性初体験の相手だったとかもうそれだけで
映画一本作れそうな感じです。

久保新二さんの男性遍歴。。。どうやら日景忠男さんだけではないようですね。。。

いやー、深い闇が広がっているようですので、この辺で引き返したいと思います。笑

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楳図かずおと同棲の過去も!

深い闇の前で引き返す、と言っておきながらこのタイトル、、、酷いですね。笑

ですが、同棲していたとはいえ、いわゆる男女の仲(いや、男男の仲?)ではなかったようです。

久保新二さんが俳優を目指して高校を中退し、「劇団ひまわり」に入っていた頃に、なんと楳図かずおさんも俳優として同じ劇団にいたそうです。

とはいえ、楳図かずおさんは俳優を目指していた訳ではなく、お金を稼ぐため、社会勉強のため、とあくまでも漫画家を目指していたようです。

二人は、勝新太郎さんが主演された「兵隊やくざ」(65年、増村保造監督)という作品や、NHKの朝ドラ「たまゆら」(管理人のふるさとである宮崎県がロケ地です)などの作品で一緒になるうちにどんどん仲良くなります。

当時、久保新二さんは地元である千葉県の習志野市から都内に通っており、お金も時間もかかって困っていましたが、それに楳図さんが同情して居候に誘ってくれたんだそうです。

同棲された期間は半年程度でしたが、西池袋の4畳半1間のアパートで、お風呂も無く、トイレはポットン式の共同という境遇での同棲生活だったそうです。

今ではあの有名な「赤と白のボーダーの豪邸」に住んでいる楳図かずおさん。

そんな大変な下積み時代があったんですね!

久保新二さんを調べていくうちに、日景忠男さんや沖雅也さん、楳図かずおさんなどディープな人たちと繋がってきました。

管理人は音楽が好きなのですが、赤塚不二夫さんと山下洋輔さん、無名時代のタモリさんが繋がっていて、毎晩馬鹿騒ぎをしていたというエピソードを思い出しました。

本当にこの辺りの人たちは底が知れないですね。昭和の怪物、というのでしょうか。。。

波乱万丈な人生を経て、円熟を帯びてきている久保新二さん。これからの活躍をハジメテトピックスは全力で応援します!

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