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こんにちは!地元宮崎が大好き過ぎて、毎週末宮崎のいろんな市町村に出かけている管理人です。
宮崎県って本当に素晴らしいなー、と思っていますが、地元の人間が言っても説得力が無いというか。
どの県の人も同じことを言ってるんじゃないかな、なんて思ってしまいます。
ですので、他県の方とか、外部の視点から褒められると嬉しいんです。
そんな管理人ですが、宮崎を外部にPRする素晴らしい動画を発見しました。
それが、美しき日本 宮崎というプロモーション映像です。
宮崎県の中でも、日南市や美々津町、椎葉村など複数のスポットに対して動画が作成されているのですが、
今回は管理人一押しの高千穂町の映像をご紹介します。
いかがですか。もちろん高千穂町のロケーションや文化も素晴らしいのですが、映像も映画のようで素晴らしいですよね。
こちらを撮影、制作したのは、なんとあのカンヌ国際映画祭で日本人監督初の審査員を務めた河瀬直美さんなんです。
河瀬直美さんは奈良県出身。どうして宮崎県のプロモーション映像を撮影しているのでしょうか。
もともと河瀬直美さんは、奈良県のプロモーション映像「美しき日本 奈良」を制作していました。
こちらを当時担当していた奈良県の職員が、交流人事で宮崎県庁に赴任していたことがきっかけなんだそうです。
奈良県の職員さん、グッジョブです!(笑)
ということで、宮崎のプロモーションでもお世話になっている河瀬直美さんについてリサーチしてみました。
河瀬直美(映画監督)の夫と子供は?
とてもキレイな女性監督ですし、夫や子供さん、結婚のことなども気になりますよね。
河瀬直美さんは2回結婚しており、子供さんもいらっしゃいます。
初婚の相手は、仙頭武則(せんとうたけのり)さんという、映画プロデューサー兼映画監督の方です。
名古屋学芸大学メディア造形学部、映像メディア学科の教授でもあります。
プロデュースされた作品の中では、あの大ヒットホラー映画「リング」「らせん」が有名です。
河瀬直美さんとの接点は、1997年に公開された映画「萌の朱雀」(もえのすざく)でした。
この作品で河瀬直美さんは監督と脚本を手がけ、仙頭武則さんがプロデューサーを務めています。
また、余談ですがこの萌の朱雀という作品で、NHKの朝ドラ「カーネーション」で主演された尾野真千子さんがスクリーンデビューを果たします。
映画の撮影準備のために奈良県西吉野村(現在は五條市)を訪ねていた河瀬直美さん。
地元の中学校を訪問した際に、下駄箱を掃除中だった当時中学生の尾野真千子さんに声をかけ、そのまま主演に抜擢したのです。
なかなか大胆ですし、運命的なものを感じますね。
そして、川瀬さん仙頭さんコンビによるこの作品で、河瀬直美さんは最年少で、第50回カンヌ国際映画祭のカメラドール(新人監督賞)を受賞します。
この映画が公開された1997年、河瀬直美さんと仙頭武則さんは結婚されます。
しかし、アーティスト同士の夫婦生活は上手くいかなかったのか、3年後の2000年には離婚されてしまいます。
ここからは管理人の推察ですが、仙頭武則さんはプロデューサーということで、興行成績なども気にされると思います。
しかし河瀬直美さんはあくまでも監督ですし、観客のことよりも自分が表現したいことを重視していたのではないでしょうか。
先ほどお伝えした通り、仙頭武則さんの代表作は「リング」「らせん」などの芸術性というよりはエンターテイメント性を重視した作品です。
河瀬直美さんの作品とはかなり方向性が違いますからね。
2000年に離婚されたあと、奈良県の同級生の方と再婚されます。
未だに奈良に在住されているという情報もありますし、川瀬さんは地元である奈良や奈良の人たちを大事にされているんだろうなと感じます。
気になる息子さんについてですが、2004年に長男である「光祈君」を出産されています。
この出産に対してですが、さすが映画監督、妊娠と出産をドキュメンタリー作品に仕上げています。
それが「玄牝(げんぴん)」という作品で、全国各地で行われている自主上映会に提供している作品でもあります。
妊娠や出産は女性にとって、人間にとって非常に重要なことですから、それを実際に体験できるとなれば映画監督としては黙って見過ごせないでしょうね。(笑)
経歴や高校もリサーチ!
そんな河瀬直美さんの経歴をまとめます。
出身は奈良県奈良市の紀寺町というところです。
高校は、奈良市立一条高等学校を卒業されています。
映画監督ということで文化系のイメージがありますが、中学、高校ではバスケットボール部に所属しました。
なんと高校生の時にはバスケットボール部のキャプテンとして国体に出場した経験もお持ちです。
高校卒業後、大学ではなく大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ)の映画科を卒業されます。
大阪写真専門学校を卒業された後、そのまま大阪写真専門学校の講師を務めながら、映画作品を制作し始めます。
8mm作品である「につつまれて」で山形国際ドキュメンタリー映画祭の国際批評家連盟賞を受賞)し、「かたつもり」では同じく山形国際ドキュメンタリー映画祭の奨励賞受賞するなど、徐々に注目を集めていきます。
これらの作品では、河瀬直美さんの特殊な家庭環境が滲み出たような作品性が高く評価されました。
実は、川瀬さんがお母様のお腹の中にいるときに、川瀬さんのご両親は離婚されています。
川瀬さんは、ご両親ではなく母方のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられたのです。
そして、1997年には河瀬直美監督の最初の商業作品として「萌の朱雀」を公開し、先ほども記載した通り、第50回カンヌ国際映画祭のカメラドールを最年少である27歳で受賞します。
ここからは上で記載した通り、仙頭武則さんとの最初の結婚や離婚、奈良の同級生との再婚と出産をご経験されます。
その間も2000年に「火垂(ほたる)」を、2003年に「沙羅双樹」、2006年に「垂乳女/Tarachime」などを精力的に発表していきます。
そして2007年、「殯の森」が第60回のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞します。
このカンヌ国際映画祭グランプリという偉業に対して、奈良県は県民栄誉賞を送ります。
その後も河瀬直美監督の作品は国際的な評価を高めていきます。
2009年には第62回のカンヌ国際映画祭にて「金の馬車賞」という映画祭に貢献した監督に贈られる賞を、女性として、アジア人としても初めて受賞します。
2013年には第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門になんと審査員として選出されます。
カンヌ国際映画祭の常連になっていた河瀬直美さん、ついに審査員となり、次の映画界を引っ張っていくような活動もされるようになります。
ちなみにカンヌ国際映画祭の審査員を日本人が務めるのは、デザイナーである石岡瑛子さんが1996年に務めて以来でして、映画監督では初となります。
なお、カンヌ国際映画祭との繋がりはまだまだ続き、2016年には第69回のカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門及びシネフォンダシオン部門(学生作品を対象とした部門)の審査委員長にも就任しています。
2014年には第12回ウラジオストク国際映画祭で「2つ目の窓」がグランプリを受賞します。
2015年には日本人女性映画監督として初めて、フランスの芸術文化勲章であるシュヴァリエ章を受章します。
また、近年では「なら国際映画祭」のエグゼクティブディレクターを務めるなど、審査員としての活動と同様、新たな才能を発掘することにも努めています。
2015年公開の「あん」と2017年公開の「光」では宮崎県出身の俳優、永瀬正敏さんを起用するなど、管理人の住む宮崎県との関わりも浅くない河瀬直美さん。
ハジメテトピックスはこれからも河瀬直美さんを応援し続けます!!!