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こんにちは!24時間TVを見ながら週末を過ごしている管理人の妻です。
今回の24時間TVは「告白」というテーマで番組が作られています。
様々な人の伝えたかった告白が次々と明らかになるのですが、その中で私が一番気になっているのが落語家の桂歌丸さんです。
歌丸さんと言えば、やはりお茶の間では「笑点」のイメージですね。
歌丸さんと圓楽さんとの掛け合いが私は大好きでした。
そんな歌丸さん、昨年2016年の4月30日に笑点が番組50周年の節目に司会を引退することを発表されました。
また、自身の度重なる体調不良という理由もありました。
そして5月22日放送の「笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル」を最後に勇退され、番組初の終身名誉会長に就任されました。
その後、文化庁から文部科学大臣表彰をされることを発表され、馳浩文部科学大臣から表彰状も贈られています。
そんな歌丸さん、笑点勇退から1年3ヶ月経った今でも、なんと酸素吸引機器を付けて高座に上がり続けているそうです。
2017年で歌丸さん自身の噺家生活は66周年。
まさに命がけで現役を続けられています。
そんな歌丸さんは24時間TVで何を告白されるのでしょうか?
そこで今回は、桂歌丸さんの妻や子供、また現役に拘る理由と告白内容も解説していきます!
妻や子供は?
桂歌丸さんのご家族ですが、奥様と子供さん、お孫さんもいらっしゃるようです。
奥様のお名前は冨士子さんとおっしゃいます。
1932年生れで、2017年では85歳です。
歌丸さんが1936年の81歳なので、4歳年上の姉さん女房ですね。
笑点や高座などで度々恐妻だという噂は聞いたことあります。
年上であるというところからも、少し夫婦の力関係が伺える気がしますね。
冨士子夫人は、歌丸さんの生家の近く、横浜市真金町の出身だそうです。
近所で顔見知りであったことから親しくなりました。
歌丸さん21歳の時に、師匠である5代目今輔から勧められた縁談を断って、結婚したそうです。
よほど惹かれあうところがあったのかもしれませんね。
そんな冨士子さん、よく噂は聞きますがTVなどで姿を拝見したことはありません。
中々TVなどには出ないことで有名でした。
ただし、歌丸さん最後の笑点には、観客として参加していました。
実は表には出さなくても、とっても仲の良いご夫婦なのではないでしょうか。
どうやら恐妻だという話も芸のネタで作られたキャラクターの様です。
歌丸さんは以前、度重なる病気で引退を考えていたそうです。
そんな時冨士子さんが、「あなたが落語を辞めたら張り合いがなくなる」と説得され、現役を続けることを決めたとのこと。
実際は何十年も陰で歌丸さんを支え、病気の看病や沢山の苦労を重ねてこられたのではないでしょうか。
そんな歌丸さんご夫妻には娘さんが一人いらっしゃいます。
その娘さんは20歳の時に結婚、お二人が42歳の時にお孫さんも生まれたそうです。
一般の方の様で、表には出られてないようですね。
現役に拘る理由と告白内容も解説!
桂歌丸さんの簡単なプロフィールをご紹介しておきます。
歌丸さんの本名は椎名 巌(しいな いわお)さんといいます。
生年月日は昭和11年8月14日、今年81歳です。
出身は神奈川県横浜市真金町です。
階級は真打、出囃子は大漁節です。
歌丸さんの実家は横浜で妓楼「富士楼」を経営していました。
小さいころから間近で遊女達を見て育ち、「化粧術」という芸を持っているそうです。
落語独特の江戸言葉は使用せず、「浜っ子」であることを誇りにしているとか。
戦後、ラジオで聴いていた落語に影響され、落語家になるきっかけになったそうです。
漫才師になることも考えたが、「二人で演芸をするのは、わがままな自分には無理かな」と思い、小学校4年生の頃には将来落語家になるとすでに決めていたとか。
このころからすでに、戦後すぐの青空教室で体育の時間は落語を演じていたそうです。
その後、昭和26年11月 五代目古今亭今輔に入門し、のちに桂米丸門下となります。
昭和41年には「笑点」がスタート、大喜利レギュラーとなります。
昭和43年には真打に昇進し、昭和54年には落語芸術協会理事に就任しています。
平成16年には落語芸術協会の五代目会長に就任し、平成18年に「笑点」五代目司会者に就任。
また平成22年7月には横浜にぎわい座館長に就任しています。
また、文部科学大臣賞をはじめ、様々な賞も受賞されています。
歌丸さんの長い噺家生活は、同時に数々の病気との戦いでもあったようです。
2001年に急性腹膜炎と2度の開腹手術を行って以降、数年おきに肺疾患や腸閉塞など、数々の病気と手術、そして入退院を繰り返しています。
しかし、何度病魔に襲われても、仕事になるべく穴を開けず、高座に上がり続けている歌丸さん。
2017年現在でも、日本中で高座のスケジュールが組まれているようです。
どんなに身体を壊しても、苦しくても噺家である現役で拘る理由、そして告白内容はいったい何なのでしょうか。
私、管理人の妻の勝手な憶測ですが、3つほどの理由が挙げられるかと思います。
①お弟子さん、若手、落語界の未来のため
歌丸さん自身の背中を追い続けるお弟子さんや、これから噺家を目指す人に手本として自分の現役の噺家としての姿を見せ続けたい、という思いがあるのかもしれません。
②家族、奥様への感謝の現れ
長年自分を支え続けて来てくれた、家族、奥様、関係者への感謝の念を表すことは、噺家であり続けることだと思われているのではないでしょうか。
③自分自身との対峙
病魔と向き合いながらも噺家であり続けることが自身の信念としてあるのではないでしょうか。
また、これまで落語の道を作ってきて先に旅立たれた諸先輩方との約束などもあるかもしれません。
いずれにしても、これまで語られなかった歌丸さんの胸の内が聞けるかもしれませんね。
気になる告白の内容!
桂歌丸さんの気になる告白の内容ですが、明らかになりました!
現在も高座に上がり続けている歌丸さん。
小さな体で酸素吸入器を付けながら、5日間も連続で50分もの古典落語の名作に挑まれている姿がそこにはありました。
現在も住まれている横浜市真金町のご自宅は、なんと建坪9坪の狭小住宅でした。
歌丸さんと言えばとても広い豪邸に住まれているイメージがありますが、意外です。
歌丸さんは落語以外の事に全く興味がない、とのこと。
歌丸さんの同世代には、五代目三遊亭圓楽さんや立川談志さんなど落語界の大スターがいました。
嫉妬はあったか?との問いにこう答える歌丸さん。
「無かったというと嘘になる。あったことははありました。だけどやっぱり人には人の生き方があると思う。向こうにないものを探して、自分の身に付ければいい。」
歌丸さんが選んだ道は、徹底して稽古に打ち込み、落語を深めていくことだったそうです。
「落語、特に古典落語は分かりやすくなきゃいけない。お客様に分かってもらって初めて落語じゃないか。」という歌丸さん。
古典落語に出てくる死語は分かりやすく現在の言葉に置き換えてお客様に説明することを欠かしません。
長丁場の高座を終えると息をするのもやっとなほど、体に負担がかかります。
どうして落語にそれほどまでに身を捧げる?との問いに歌丸さんはこう答えます。
「落語やらないで何やりゃいいんです?落語家なんだもん、落語しかできない。とにかく噺家はお客様方に楽しんでもらわなければならない、だから当たり前のことだと思ってます。」
とにかく面白さを追求する、その思いは笑点でも表れていました。
最後のオンエアとなった歌丸さん出演最後の笑点でのTOKIOとの大喜利でも、今までに出したことのないパターンの返しをどんどんと出し、会場を沸かせていきます。
そして最後の生放送での大喜利、歌丸さんは事前に出演者6人全員に座布団を10枚全部あげるつもりでスタッフに座布団の確保をお願いしていたそうです。
いつもよりもハイペースでどんどん座布団を皆にあげていく歌丸さん。
そして一番最後の小遊三さんの返しがこちらです。
「師匠、これが最後です。抱いてください!」
「山田君、気持ちが悪いから全員の全部持って行きなさい!」
と、まさかの座布団を全部回収させ、面白さを追求させます。
そこには次の司会者のために、舞台をまっさらにしておいてあげようという配慮もあったのではないか、とも言われていました。
そして生放送終了後、こらえていた涙を流しながら「これからも落語は続けていきます」と宣言した歌丸さん。
「50年間やった番組を去るんですから、正直悲しいですよ、でも頼もしいメンバーの方々が頑張ってくれてますんで、笑点は任せておいて私は落語の道を進んでいきたい。目を瞑るまでは落語を続けていきたい」という歌丸さん。
落語を後世に残したい、その思いで高座に上がり続けている・・という告白でした!
VTRを見て、現在の笑点メンバーに座布団をまっさらにした理由を改めて聞いてきました、というスタッフ。
その理由は、「あの時は、本当に腹が立って気持ち悪いので取りました」だそうです!
その答えにまたもや笑いに包まれる笑点メンバーの皆さん。
そして歌丸師匠直筆の色紙が紹介されます。
その色紙には歌丸さんが大事にしている「笑いのある人生」との言葉が添えられていました。
落語と笑い、お客様を楽しませるためのあくなき追求心が、桂歌丸さんを今も突き動かし続けているんですね!
とっても良い話なのに、笑いに変えてしまうところがさすがでした・・!
ハジメテトピックスは桂歌丸さんをこれからも全力で応援し続けていきます!